宮之浦団地ができて、ほとんどの便が延長されたが、それでも最後まで夕方の1本だけは菖蒲谷行きで運行されていた。85年当時、西鹿児島16:15発だった。なお、菖蒲谷車庫は、名称変更を経て、「菖蒲谷北」となった。