水害当日の状況(私の記憶から)
バスフォーラム鹿児島8・6水害の記録>水害の当日の状況(私の記憶から)

 平成5年当時、私は20歳でした。西鹿児島駅前のレンタカー店で働いていた私は、
夕方、国道3号を自家用車で走って家路につきました。私の住まいは、鹿児島市北部高
台の団地でした。

 この時、大粒の雨が降っては止み降っては止みという状態でした。郡山の方の空が真っ
黒で、不気味だったのを覚えています。

 当日夜は、飲み会の予定が入っていたため、車を置いて、再度家を出ようとしたので
すが、すでに降り出していた雨が非常に強く、母に外出を止められました。

 気象情報を得ようと、ラジオを付けたところ、入った情報は、郡山地区で時間雨量
80ミリ以上を記録というものでした。
 郡山は、鹿児島市内を流れる主要な河川の一つである、甲突川の源流にあたります。

 この数字にすっかり驚いてしまった私は、飲み会に出るのをとりあえず延期して、
様子をみることにしました。

 その後も雨は降り続き、いっこうに止む気配がありません。
 レンタカー店から電話がかかってきました。確か20時頃だったと思います。
 第一声
 「海〜! 店の周りが海だがよ〜!」

 当日、勤務に出ていた人は、レンタカーを駐車場内の高いところに移動したあと、
ナポリ通りで半分水没している車を数人で押して、駐車場に案内したそうです。
その様子が、テレビニュースで放映されました。共研公園前の交差点で、
水位は大人の肩ほどにまで上がり、道路両端の街路樹に渡したロープを頼りに、
人々が泳いで道路を渡っている様子が放送されていました。

 ニュース速報が入り、竜ヶ水で交通が寸断され、人々が取り残されている。
桜島フェリーが救出に向かったと報じました。

 いよいよ大変なことになったと感じました。深夜になって、ラジオから流れるのは
「安否情報」。誰それはどこに避難したから、大丈夫ですとか、連絡をくださいとか、
どこの病院に運ばれたとか・・・
そして、「鹿児島市内の交通はマヒ状態です。なるべく外出を控えてください」
という不気味なメッセージばかりでした。

翌日の状況へ

このページのTOPへ

SEO [PR]  冷え対策 再就職支援 わけあり商品 無料レンタルサーバー ブログ SEO